ちっちゃい頃からチョキばかりを出していたように思う。ち・よ・こ・れ・い・と、でいっきに6歩進むことだけしか頭になかったのだろう。それは今でも変わらない。時にはグーを出して、ぐ・り・こ、と3歩地味にかせいだりして駆け引きしなければならないのに、それでもチョキばかり出していた。そのぐらい、ちよこれいと、の響きが持つ快感はまさに飛び跳ねるように強烈だったから。
コツコツと積み重ねることはあれからも出来ぬまま、それくらいならいくら負ける可能性が高かろうがイチかバチか見返りが大きい方をとる、その態度が常になってしまった。しかし競馬やパチンコといった所謂ギャンブルには一切興味がない。なぜなら私が生業としている「映画」はあまりにも不経済な大博打、どこまでもいってもどこを切ってもギャンブル性から逃れられない、まったく迷惑な代物であるからだ。なにも映画を制作するといった馬鹿げたギャンブルでなくとも、フツーに映画を観る行為こそギャンブルに他ならないわけで、千八百円という少なくない金銭と二時間という短くはない貴重な時間を賭けざるをえないギャンブルは、現在映画館から多くの人の足を遠ざけるのに十分だろうし、それはおろかぎっしりと陳列されたDVDを棚から一本選び出すTUTAYAでの日常行為だって列記としたギャンブルではないか。つまんなかったらほんと腹立つし。
今でもチョキばかり出している。なんてったってパーよりもグーよりも手の形がカッコイイ。んでピースにもなる。30も過ぎたというのにこんな調子だ。コツコツと人生設計を頭に描きながら伴侶を得、子孫を繋ぐまわりの友人たちは多くの堅実なグーを多用してゆっくりと、ぐ・り・こ、と歩んできているに違いない。頭の悪い私は「ちよこれいと」に拘り続け、いっきの捲くりでその友人たちを置き去りにして、遠く、どこまでも遠くに行ってやろうと諦めないでいる。勝ち目のないギャンブルかもしれない。そして多くの人がすでに気づいているのは、「ちよこれいと」も「ぱいなっぷる」も同じ6歩だという当たり前の事実。人生の法則とでもいうべき教訓的一致。どうりでうまくいかないわけか。人生はチョコレートのように甘くはないし、銀紙にも包まれていない。













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